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JO JO GUNNE

娘 「ねぇ、お父さん! ジョジョ ってさ、ビートルズのゲット・バックの歌詞から取ったて本当? ファミレスのジョナサンからだよね?」
父 「何を言ってるんだお前、違うだろう。 その時代にジョナサンとか無いぞ。 ジョジョ と言ったらアメリカの…」
母 「そうよ! アメリカの名曲だわ。AORの…」
父 「いやお前、確かにアメリカだけど曲名では無いぞ。 バンドの名前だ! ジョジョ と言ったら…」
娘 「奇妙な冒険!」
母 「ボズ・スキャッグス!」
父 「あちゃー… ジョ・ジョ・ガンだろう! ジョ・ジョ・ガン!」
娘・母 「何それ」

(笑)。何年か振りで「おとぼけ家族」(笑)の登場で始まりましたが、女性陣が何と言っても「ジョジョ」と言えば「ガン」ですよねお父さん。
はい、ジョ・ジョ・ガンの登場です!
皆さんの頭の上に大量の「?」マークが見えるようですな(爆)。

アメリカはカリフォルニアで'71年に結成されたバンド、ジョ・ジョ・ガン。この奇妙な冒険…もとい(笑)名前はロックンロール・レジェンド、チャック・ベリーの曲名になっている「猿」の名前から名付けられたとか。
中心人物のボーカル・キーボードジェイ・ファーガソンベースマーク・アンデスは'67年結成の西海岸のプログレバンド「スピリット」のメンバーでありました(このスピリットってバンド、レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」での盗作騒ぎで有名になりましたな)。
スピリットを離れた2人はギタリストにマーク・アンデスの弟、マシュー・アンデス(のちにマット・アンデス)、ドラムカーリー・スミスを迎えてあの西海岸の名門アサイラム・レーベルの黎明期にアルバム「ジョ・ジョ・ガン デビュー」でデビューとなったのであります。
そのサウンドはイーグルスやジャクソン・ブラウンなどを擁するアサイラムでは異色とも言える、アメリカン・ハード・ブギー・ロックとも呼べるもの。
'72年の1stシングルとなった「ラン・ラン・ラン」トップ40ヒットに送りこむなど鮮烈なデビューを飾ったのであります。
このアルバム1枚でベースのマークがバンドを離れてジミー・ランデルが加入。
翌'73年7月に2枚目となる「ジョ・ジョ・ガン2nd」、11月には3枚目となる「ジャンピング・ザ・ガン」と立て続けにアルバムをリリースします。
実は私が個人的に初めて聞いたのがこの3枚目でありました。皆様にもどこかで見ていただきたい(笑)、巨漢の女性が全裸で空を飛んでいるという衝撃の裏ジャケ(笑)。
さらに見開き内側の写真には子ブタと向かい合って横たわる女性の体をなぞるようにクレジットが書き込まれているという…完全に「耳なし芳一」状態(笑)。
今だったら絶対にNGでしょうなぁ(爆)。そして「大きな音で聞いてください」という但し書きまで! 
ええ、大きな音で鳴らしましたとも(笑)! まさにご機嫌な出会いでありました(^_^)。
その後ギターのマシューが脱退して新たにジョン・ステイヒリーが加入。'74年に4枚目となるアルバム「ソー・ホエアーズ・ザ・ショー」をリリースするも全く当たらず…(爆)バンドは解散となります。
最後は日本盤のリリースも無かったような…f^_^; ジョンのギターは良くも悪くもいわゆるストレートなアメリカン・ハードロック的ギターで、まあそれなりにカッコ良いのだけれど、やはりジョ・ジョ・ガン本来の魅力とも言えるイナタイブギーロックが影を潜めてしまったというのが敗因でしょうか。
その後のジェイ・ファーガソンはソロとしてのキャリアをスタートし、'78年に「サンダー・アイランド」のヒットを飛ばしたのをご存知の方も多いかもしれません。
音楽的はもう売れ線ウエスト・コースト・サウンドですから、ジョ・ジョ・ガンのイメージとは違いますが…
アルバムをサポートしたジョー・ウオルッシュ流れで知ってるよ、って人もいるかも知れません。
その後は映画音楽の世界でも活躍しています。
初代ベースのマーク・アンデスファイヤーフォールを経て’80年代に大復活、大ヒットを飛ばしたハートのメンバーに、またドラムのカーリー・スミスも長きにわたってボストンのメンバーだったりとそれぞれその後も活躍を見せております。
バンド自体は'90年代中盤にトトのスティーブ・ルカサーをアドバイザー?(笑)に復活を試みるも未遂に終わりましたが、2005年に無事、再結成してのアルバムもリリースされているようです。

さて動画! 唯一のヒットとも言える名曲「ラン・ラン・ラン」が'94年トム・ハンクス主演の大ヒット映画「フォレストガンプ」で効果的に使われるなどしてますから、絶対あるはずと踏んで実は長年探しておりました。
しかしながら出てくるのは再結成未遂(笑)時のたるい(失礼!)リハーサル動画のみ…。
全盛期の動画をお届けするのがモットーの当 伝ロクとしては、活動期間もたった2年だったし、取り上げるのを諦めていた状況でした。
しかーし!なんとこの度発見したのであります!テレビ・ショーながら明らかにレコードとは違う迫力の生演奏!
グランドピアノから90度に長ーい(笑)右足を出したファーガソンがクイーンのフレディーばりにマイクスタンドを抱えての熱唱!
マシューの唸りまくるスライドギターもかっこいいのなんのって!
いやあ、待ってみるもんですなー。
それでは当時の貴重な演奏シーンをお楽しみ下さい!

 

 

「Run Run Run」 (1972)

 

 

 

↓代表曲収録となればおすすめは1stですが、個人的にはやっぱり衝撃ジャケットの(笑)3枚目をぜひゲットしてほしところです。

 

 

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2021年8月15日 (日)

The Arrows

時は昭和。
日本在住外人ロックスターの元祖が渡英後に一躍アイドルロックバンドに上りつめて世界を唸らせる。凄いですよね!
その名はアランメリルが率いたジ・アロウズ!ご存知、’82年、元ランナウェイズのギタリスト、ジョーン・ジェットが全米1位7週連続の大ヒットを記録したロック界の大名曲「アイ・ラブ・ロックンロール」のオリジナルのバンドなのです。
私自身も学生時代にコピーしたりなんかしてましまたが、当時オリジナルが誰だった、なんて事は考えた事もなかったですね〜。
70年代のイギリスと言えば、まあ、日本も含めてベイ・シティー・ローラーズをはじめとするいわゆるティニー・ポッパー、アイドルバンドが花盛りな時代!そんな中イギリスで2年間もTVで冠番組を持っていたのです!
アロウズを語るに欠かせない中心人物、アラン・メリルについて少し触れておかねばならないでしょう。母は言わずと知れたあの伝説のジャズ・シンガー、ヘレン・メリル。’51年に生まれたアランは親日家でもあり当時日本に移住していた母メリルを頼って’68年に来日。そのルックスと音楽的才能でグループサウンズ全盛の日本で数々のバンドに関わります
日本時代のお話はネットでも沢山出ていますので、ここではざっくり行きますがf^_^;、完璧な日本語でのソロシングルのリリースやモデルをしていた事も。
’72年にはドラム以外の楽器を全て担当したソロアルバム、「メリル・ファースト」というアルバムも発表。そのマルチぶりを見せつけていたのです。彼の日本での活動で特に有名なのはその後スパイダースのかまやつひろし、テンプターズの大口広司らと結成した「ウォッカ・コリンズ」。’73年リリースの唯一のアルバム、「トーキョー・ニューヨーク」は日本でのグラムロックの祖とも呼ばれている名盤なのです。しかしながらそこは日本の歌謡界(爆)。所属のナベプロと揉めて(笑) 後にアロウズのメンバーとなるギターのジェイク・フッカーの誘いで単身渡英。’74年に結成されたトリオバンドがジ・アロウズでした。
ドラマーは当初のクライブ・ウィリアムスからポール・ヴァレリーに代わってラインナップが固まります。
日本ではギター、ボーカルだったアランはアロウズではベース、ボーカルを担当。やはりマルチですな
このバンドがスージー・クアトロやアニマルズのプロデューサーとして有名なミッキー・モストの目に止まり、彼のレーベルRAKよりグラムロックの申し子的に登場。シングル、「タッチ・トゥー・マッチ」でデビューするといきなり全英8位にランクイン
セカンドシングルの「タフン・アップ」こそ51位でしたが、3枚目の「今夜は君と」は25位と健闘。瞬く間にそのアイドル的ルックスとグラムロックに留まらないアランはじめメンバーの音楽性が開花して大人気となります。
さて問題の「アイ・ラブ・ロックンロール」は’75年に5枚目のシングル、「ブロークン・ダウン・ハート」のB面としてレコーディングされましたが、当時スローナンバーに入れ込んでいたプロデューサーのミッキー・モストに彼の奥方が「アイ・ラブ・ロックンロール」をA面にして!と進言!
ローリング・ストーンズの楽曲、「イッツ・オンリー・ロックンロール」「たかがロックンロール、でも好きだぜ」という歌詞に対してアランが「なに甘い事言ってんだ!俺はロックンロールを愛してるんだぜ!」反射的に思いついたという(笑)。
そんな運命的に誕生したこのシングルはチャートの記録こそ無いものの、ベイ・シティー・ローラーズのテレビ番組にゲスト出演した時にテレビプロデューサーのムリエル・ヤングの目に止まり、アメリカ進出を狙ったベイ・シティーがホストだった後番組にホストバンドとしてアロウズが大抜擢!30分番組「アロウズ」が'76年から'77年に渡り14回の2クール 2年間放送されたわけです。
この番組はカナダや香港など数ヵ国で放映され、マーク・ボランやベイ・シティー、スレイドなどがゲストに登場。
この番組での「アイ・ラブ・ロックンロール」のパフォーマンスを76年に初のイギリスツアーを行った当時のランナウェイズのメンバー、ジョーン・ジェットが現地で目撃してゾッコン!というのが真相のようです。
’77年にはギタリストテリー・テイラーが参加。アロウズは4人となり、アランは時にベースをケビンやテリーに任せてハンドマイクやピアノに向かうなど幅広い音楽性を披露。
前途揚々と思われたアロウズですが、アルバムは’76年リリースの「ファースト・ヒット」が1枚のみ。その後レーベルとのマネージメントの問題により冠番組が始まったにも関わらず、なんと全くレコードがリリースされなくなってしまうのです。
その間もレコーディングは時折り行われていたようですが、バンドは'78年に解散となります。
その後のメンバーですが、アランはアメリカへ帰国してソロ・アーティストとして活動。’80年代頭には私の大好きな(^_^)リック・デリンジャーのバンドメンバーとして活動したり、’90年代には再来日してウォッカ・コリンズのリユニオンに参加したりとコンスタントに活動していたものの、'20年春に憎っくきコロナ(COVID-19)の犠牲となり惜しくも他界…。
初期メンバーのジェイクとポールもすでに故人となっております…残念。
後期参加のテリーはその後バンド終焉期にプロデュースを担当した元ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンが結成した「ビル・ワイマンズ・リズム・キングス」のメンバーとして現在も渋いギターを披露しております。
さて動画!ここまで語れば普通は「アイ・ラブ・ロックンロール」!と行きたい所ですが、さにあらず(笑)。
TVショウ中心の活動だったアロウズは当ブログお約束の生演奏動画が存在せず…f^_^;
どうせなら検索すれば山ほど出てくる(笑)「アイ・ラブ・ロックンロール」の当て振り動画(笑)ではなく、テリー・テイラー在籍時の4人のアロウズ、しかもレコーディングされたものの、2002年までお蔵入りになっていたレア曲、「グッドバイズ」をお届け致しましょう!!
アランがハンドマイクで歌うこの曲、後期の幅広い音楽性を反映したAOR調と言いますかディスコ調と言いますかもはやロックでも無いような気もしますが(笑)貴重な動画という事でご容赦願います(^_^)。
ふと思いましたが、この曲を聴いてオフコースのYes-Noを連想したのは私だけでしょうか(爆)。もちろんオフコースの方が後ですが…(笑)
まあ、当時日本ではほとんど知ることがなかったこの曲を耳にしていたとは思えず、当時よくあった、この手のサウンドアレンジを取り入れていたという感じでしょうか。はい、ディスってませんよ(笑) 私はオフコース大好きなので(笑)。
それでは残念ながら当て振りですが(爆)貴重な映像をどうぞ!

 

「Goodbys」 (1976)

 

 

↓アルバムはもちろん、シングル集もぜひ!動画曲収録のアルバム「タウニー・トラックス」は寄せ集めて完成させたアルバムの為、アロウズ・アンド・フレンズ名義となっております。

 

 

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2021年5月 4日 (火)

Sadistic Mika Band

'74年にUKハーヴェストから1stアルバムが発売となった頃と時を同じくして、名プロデューサー、クリス・トーマスが彼らの本国に出向いて450時間にもおよぶ2ndアルバムのレコーディングが終了。’75年の2月にアメリカで、そして4月にイギリスでリリースされたそのアルバム「BLACK SHIP」が注目を集め、同年秋にあのロキシー・ミュージックのオープニング・アクトとして全英ツアーを敢行したバンドはまさに上り調子でありました。
そして驚くことなかれ。そのバンドのメンバーは全員が日本人だったのであります!
ハイ、もうお気付きですね?そのバンドこそが今回取り上げたサディスティック・ミカ・バンドなのであります。
ボーカル、ギターの中心人物、加藤和彦が'67年に本国(日本ねw)で学生時代に結成したユニット、フォーク・クルセイダーズがリリースしたシングル「帰って来たヨッパライ」がヒットとなりデビュー。
ユニット解散後にソロ活動を挟んで'71年に結成されたのがサディスティック・ミカ・バンド。
前年に結婚した妻ミカをボーカルに起用。そのユニークなバンド名の由来は、当時料理があまり得意ではなかったミカが電話に出るために包丁をまな板に突き立てた様子を見た加藤が、ジョン・レノンの「プラスティック・オノ・バンド」になぞらえて命名したのだとか。
ドラムつのだひろギター高中正義ベース小原礼を加えてデビューシングル「サイクリングブギ」をリリース。
ドラムのつのだがバンドを離れた後、当時頻繁にロンドンと行き来していた加藤がロンドンの街角でばったり遭遇したというドラマー高橋幸宏が参加。'73年に日本で1st アルバム「サディスティック・ミカ・バンド」がリリースされたのであります。
その高い音楽性で話題を呼んだものの、セールスには結びつかず…。
そんな折、メンバー全員で訪れていたロンドン。見に行ったロキシーミュージックのライブ会場ミカが偶然にもプロデューサーのクリス・トーマスと遭遇。すでにミカバンドに興味を持っていたクリスからアルバムを聞かせてほしいとの申し出があり、プロデューサーとして迎い入れる事になったのであります。
ビートルズのホワイトアルバムでアシスタント・プロデューサーを務め、プロコルハルムバッド・フィンガーさらにピンク・フロイドまで手がけていたクリス・トーマスとあって、完成した2ndアルバム「BLACK SHIP」(邦題「黒船」)はその内容と共に国内外に大きな反響を呼ぶに至ったのです。
このアルバムからサポート・キーボディストだった今井裕がメンバーとなり、ベース後藤次利に交代。続く3rd アルバム「HOT MENU」もクリスがプロデュースを手がけ、その年の秋に冒頭でも触れた英国ツアーに打って出たというわけです。
滞在中の公演は19公演に及び、テレビの出演もあり。
初めて海外を舞台として日本人のバンドが評価されたという点でもサディスティック・ミカ・バンドは洋楽に限って展開してきた当「伝ロク」に登場するにふさわしいバンドなのです! 
個人的にも私が学生時代に憧れた先輩バンドが大きく影響を受けており、自分でも憧れてミカ・バンドの曲をよくコピーした記憶があります(^_^)
日本人の皆さんならお分かりと思いますが(笑)、ミカ・バンドのメンバーは加藤和彦をはじめ、後にYMOを結成する高橋幸宏フュージョン・シーンで一大ブームを起こすことになる高中正義など凄いメンバーが集っていた伝説のバンド。
その音楽性はスライ&ファミリーストーンを彷彿させるファンキーなナンバーを軸加藤和彦とミカのツインボーカル、メンバーの演奏技量を活かしたインストナンバー、果てはレゲエにいたるまで実に多彩。しかもそこにはアジアのバンドらしいオリエンタルなテイストがしっかり感じられるというもの。そのまま行けば…と誰しも思うわけですがそこが音楽業界(笑)。
渡英前の3rdアルバムレコーディング前からミカがプロデューサーのクリスと恋仲になってしまい加藤和彦とは破局。
イギリスツアー終了後にミカが帰国せず、残念ながらバンドは解散となってしまうのであります。
そんな状況がありながらも素晴らしいアルバムを作り最高のパフォーマンスを展開して見せていたプロフェッショナルな所もまた彼らが伝説たるゆえんだと思うのです。
その後のミカバンドですが加藤和彦を除いたメンバーがサディスティックスという名前でインストルメンタルバンドとしての活動をしばらく続けていたものの自然消滅。それぞれのその後の日本での活動についてはもう私が語るまでもないでしょう。
イギリスに残ったミカは料理研究家になったというのも驚き(笑)相変わらずサディスティックな包丁さばきなのでしょうか(爆)
のちにサディスティックス・ミカ・バンド名義でもボーカルに桐島カレンや木村カエラを迎えて2度の再結成を行うも、2009年に加藤和彦が他界…残念ながらもう見れなくなってしまいました。 
さて動画!いくつか貴重な動画を今でも見ることができるのですが、'75年UKツアー中に出演したイギリスの伝説のTV番組、「オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」でのパフォーマンスをお届けいたいましょう! 
この番組での映像は伝ロク登場の他の伝説のバンドでも見ることが出来ますよね! この番組に日本人のバンドが出ていた、というだけで胸熱です!  
曲はインストの「WA-KA! CHICO」、そして超ファンキーな「塀までひとっ飛び」(Suki Suki Suki)。キレッキレの高橋幸宏のドラム。グルーブ感抜群の後藤次利のベース。うねりまくる今井裕のキーボード。実にロックな法被姿の具志堅…もとい(笑)高中のギター。そして背が高く実に絵になる加藤和彦とミカ! 特にこの映像でのミカのチャーミングでセクシーな姿ときたら! プロデューサーがぐらっと来るのもうなづけますなご同輩(笑)! 
ポラロイドカメラでステージ上から写真を撮りまくる茶目っ気たっぷりな様子もまさにワールドクラスの振る舞いだと思いませんか?
それでは貴重な映像をどーぞ! 
(文中敬称略で失礼いたしました。一応…ねw)

 

 

「WA-KA ! CHICO 〜 Suki Suki Suki」 (1975)

 

 

↓やはり名盤「黒船」はマストですが、「ライブ・イン・ロンドン」も音質は良くないものの、当時の彼らがいかにUKで受け入れられていたかを雄弁に物語っています。ぜひ!

 

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2021年1月 3日 (日)

The Romantics

一発屋とあなどるなかれ。一発当たるだけでも大したもの。一発すら当たらずに消えていくバンドも多数おるわけであります。
デトロイト出身の4人組。'84年全米3位の大ヒットとなった「トーキング・イン・ユア・スリープ」で知られるバンドです。
当時の空間系のエフェクトのかかったギターやその出で立ちやルックスから80年代前半に一世を風靡した「ニューロマンティック」系のバンドとして認識されていた方も多かったと思います。なんてったって名前がロマンティックスですから!(と言ってもそれを見越して名付けた訳ではないでしょうが…)
当時のロキシーやデヴィット・ボウイをはじめデュラン・デュラン、カルチャー・クラブなど主にUKシーンを盛り上げたきらびやかな一派と肩を並べかけておりましたが、残念ながらこの一曲の後失速してしまいましたね…f^_^;
そうなってしまうと人は恐ろしいもので(笑)イマイチ田舎者っぽかった、とか音楽性に無理があった、とか色々言われてしまって気の毒な気もしますねぇ。
ボーカル・ギターウォーリー・パルマーリード・ギター、ボーカルマイク・スキルベース・ボーカルリッチ・コール、そしてドラム・ボーカルジミー・マリノス
'77年インディーズのスパイダーレコードからのデビューシングル「リトル・ホワイト・ライズ」をリリース。その翌年にはパワーポップの名門レーベルBomp!より2ndシングルをリリース。
正式には’79年のアルバム「ロマンティックス」がメジャーデビューとなります。この頃の彼らと言えばアルバムジャケでもお分かりの通り揃いの真っ赤なレザースーツとリーゼント的な(笑)髪型でルックスを統一。後のスタイリッシュな姿とは大分違いますね。
しかしながらこの頃の彼らはキンクスなどのカバーも含めた荒っぽいギターのカッティングワイルドなコーラスが印象的な実にエネルギッシュなナンバーが並ぶ名盤。パワーポップ・ファンの間では外す事が出来ない1枚なのであります。
ここから「ホワット・アイ・ライク・アバウト・ユー」がスマッシュヒット。
翌年リリースの2ndアルバム「ナショナル・ブレークアウト」ではグッとハードな仕上がりで個人的には好みなのですが翌'81年の3rdアルバム「ストリクトリィ・パーソナル」で転機が訪れます。
リード・ギターのマイクが一時的にバンドを離れ、新たにリード・ギタリストとしてコズ・キャンラーが参加。その後ベースのリッチの脱退に伴って元リード・ギターのマイクがベースにコンバートします。
そしていよいよ'83年。プロデューサーのピート・ソリーとホール&オーツやドッケンを手がけたエンジニアのニール・カーノンの力も大きかったと言えましょう。そのアルバム「イン・ヒート」から「トーキング・イン・ユア・スリープ」が大ヒットとなるわけです。。
ルックスも前述のように垢抜けた感じになったのであります(^_^)。
その後もメンバーチェンジなど経て’85年「リズム・ロマンス」をリリースするも前作のようなヒットに至らず…、聞けばマネジメントでのトラブルが相次いだのが理由でリリースが出来なかったのだとか。エンタメあるあるですね…。
その後リユニオンがあったりと、現在でも健在なご様子。ただボーカルのウォーリーの現在の肥え方が半端ない(笑)。あのニューロマンティックはどこへ…f^_^; でもまあ頭髪がイクよりマシですかね(笑)。
さて動画ですが、本来なら大ヒットナンバーを!と行くところですが、そこは伝ロク。ここはぜひ初期のエネルギッシュな演奏を見て頂きたいと思います。
パワーポップ大好きな私ゆえ、個人的にはやはりこの時期が大好物!1stアルバムからの初のヒットナンバー「ホワット・アイ・ライク・アバウト・ユー」をライブ映像からお送りいたしましょう!
ボーカルはドラマーのジミー。全員が歌えるというのがこのバンドの強み
ずっとこの路線で行って欲しかったなあと思いますね。でもこのままだったら一発も当たらなかったか…f^_^;
それではどーぞ!

 

 

「What I Like About You」 (1980)




↓私のおすすめは1st!パワーポップの名盤!


 

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2020年8月15日 (土)

Redbone

「インディアンうそつかない。」私が子供の頃のテレビや映画などで見て印象的だったこの台詞。
面白おかしく語られる一方、本来は「白人うそつく。インディアンうそつかない。」という一対のセンテンスだったことを知ります。
先住民族に対する心無い行いには本当に胸が傷みますね。
ロックが黄金期を迎えてからというもの、新しい方向性を求めてのロックと民俗音楽との融合は時に強力なバンドを産み出します。
ラテン・ロックのサンタナ、アフロ・ロックのオシビサ、アイリッシュ・ロックのホースリップスに… いかん、伝ロクでやってないバンドばっかりだf^_^;
インド音楽も琉球音楽も中東音楽も、もっと言ったらフラメンコ、シャンソン、カンツォーネに至るまで各国のネイティブなメンバーによるロックへの飽くなき挑戦は続いてきているわけです。
前置きがすっかり長くなりました。今回ご紹介のレッドボーン。彼らはネイティブ・アメリカン、インディアンの音楽とロックの融合をアイデンティティとして登場したバンドなのであります。これ、ありそうであまりなかった!
'70年デビューのレッドボーンはメンバー全員がネイティブのバンド。
そう'74年の大ヒット「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」で有名なあのバンドであります。
とは言うものの中心人物のパット・ベガス(ベース、ボーカル)とラリー・ベガス(ギター・ボーカル)のベガス兄弟はメキシコ系とのハーフ。本当はヴァスケスというミドルネームがあって結成以前にヴァスケス・ベガス・ブラザーズというバンドを組んでいた事もあるらしいのですが、ラテン系の印象を排除するためにこのバンドではベガスというファミリーネームで通す徹底ぶり。
2人の出自はヤキ族で、トニー・ベラミー(ギター)はナバホ族、ピーター・デポー(ドラムス)の出身はシャイアン族…なんて書き方をするとにわかにネイティブ感が高まりますものね…
バンド名の由来、レッドボーンもホワイト、ブラックと異なる有色人種という意味を持つとの事。
'70年英エピックよりの1st アルバムの「レッドボーン」はなんと二枚組の大作。
同年秋に米にてリリースされた2nd「ポトラッチ」はビルボード99位。
そして翌'72年3rdの「メッセージ・フロム・ア・ドラム」(遥かなる太鼓の響き)からのシングル、「ニュー・オリンズの魔女」は米でこそ21位ながら、英ではチャートの2位にランキングされるなど、一躍有名になるわけです。
そして'73年「オールレディー・ヒア」を挟んで同年11月にリリースされた「ウォボカ」からのシングルカット'74年のシングル「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」にいたって遂にビルボード5位の大ヒットと相成ったわけです。
アルバムのアートワークにはインディアン、ネイティブ・アメリカンを強く主張する樣が見て取れるのですが、しかしてそのサウンドは?と言いますと、意外や普通にカッコいいファンクロック(^_^)。
しかもそこには当然ニュー・オリンズをはじめ、ソウル、ジャズ、フォーク、スワンプ、ケルトなどの影響も十分に感じられる…複合的な音楽性を持つかなりテクニカルなものなんであります。
ピーターのドラムはキングコング・スタイルと呼ばれ(両手でドコドコ叩くってことねw)、ギターのロリーはハモンド・オルガンのレスリー・スピーカーに繋いで鳴らす先駆者とも呼ばれております。ヒットした代表曲「カムアンドゲットユアラブ」も、すわソウルナンバーかと思わせるグルーブ感。しかしながらどこか直線的なノリを感じるところがひょっとしてネイティブ・アメリカンたる由縁なのかな、と。
また楽曲によっては当然ネイティヴ・アメリカンの要素はもちろん、ライブでの衣裳、そしてパフォーマンスの途中にインディアンの儀式のチャントの一部を取り入れるなど…ヒット曲だけ知ってて動画を見ると思わず腰を抜かすはめになります(笑)。
そんな彼等には「ウィー・アー・オール・ウンデット・アット・ウンデット・ニー」という楽曲があります。
そう、ネイティヴ・アメリカンには忘れることの出来ない、ウンデット・ニーの虐殺についての歌
「ウォボカ」に収録されたこの曲は本国アメリカでは当然収録が見送られたものの、ヨーロッパではヒット
なんとオランダではNo.1に輝いているんです。この辺りにも大変深いものを感じますし、レッドボーンのロック・スピリッツを感じますね。
その後のレッドボーンですが、メンバーチェンジを繰り返しながら存続。ほとんどのオリジナルメンバーは故人となり、現在ではオリジナルメンバーはパット・ベガスのみとなっております。
さて動画!おなじみの米番組ミッドナイト・ライブからヒット曲「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」
冒頭のチャントも含めてご覧ください!それではどーぞ!

 

「Come And Get Your Love」 (1974)

 

 

 

↓せっかくですから 「ウィー・アー・オール・ウンデット・アット・ウンデット・ニー」収録のベスト盤をぜひ!

 

 

 

 

 

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2020年5月 6日 (水)

Fanny

久々です。麗しの女性ロッカー編!
出尽くしたと言うなかれ、まだまだあるのです。
ガールズ・ロックバンドとして華々しく世間に認知された、かのランナウェイズのデビューから遡る事6年前!本格派ガールズバンドとして認識されていたバンド。それが今回のご紹介のファニーなのであります。
当然その後デビューしたガールズバンドのランナウェイズGO-GO’Sバングルズらにも多大な影響を与えたバンドと言えます。
実は世界初のメジャー契約ガールズバンドとなりますと‘64年のゴールディ&ザ ・ジンジャーブレッズと言うグループ。
次に登場するのがスージー・クワトロを含むクワトロ三姉妹が結成していた、ザ ・プレジャー・シーカーズでメジャーデビューが’68年。これらはファニーよりデビューが早いのですが、まあいずれ取り上げるとして今回はちょっと置いておきますね(爆)。
‘61年にフィリピンからカリフォルニアに移り住んだミリントン姉妹。姉のジューン・ミリントンがベース、そして妹のジェーン・ミリントンがギター。プロデューサーのリチャード・ペリーに見出されたバンドはドラムにアリス・デ・バー、キーボードにニッキー・バークレーとラインナップを固定してファニーが誕生します。
'70年にデビューアルバム「ファニー」をリリース。あのクリームのヒット曲「バッジ」をカバーして収録する一方、アーシーなサウンドに重厚でワイルドなハーモニーをフューチャーした数々のオリジナル曲を収録。
当時のショービジネスにありがちな女性を売り物とした形ではない、本格的なロックバンドとしての実力をいきなり発揮します。
'71年リリースの2ndアルバム「チャリティー・ボール」でのサウンドはグッとファンキーに。リード・トラックの「チャリティー・ボール」がビルボードの40位にランキングされるなど評価も上昇。スレイドやジェスロ・タルなどのオープニングアクトをこなすなどツアーも精力的にこなしていきます。
その成果をひっさげた’72年のアルバム「ファニー・ヒル」ではビートルズのエンジニアだったジェフ・エメリックを起用。アビーロード・スタジオで制作し、ビートルズナンバーの「ヘイ・ブルドック」のカバーも収録。この選曲センスが素晴らしいですよね!
ここでプロデューサーのリチャード・ペリーが離れて4枚目のアルバム「マザーズ・プライド」の制作に入りますが、この辺りからジェーンとニッキーが対立するなどバンド内の関係が微妙に…
このアルバムのプロデュースには私が敬愛する(笑)トッド・ラングレンが起用されています。トッド関連という事でこのアルバム、私的にも以前から聞いておりましたが、前作から音楽性の幅が広がった分、ちょっと中途半端な印象が否めない感じでしたね…f^_^;
実はプロダクション側がちょっと勢いの落ちたバンドに一発奮起を期待してトッドに白羽の矢を立てる、というパターンがロック界には多々あります。
まあ、トッド・ファンの私が言うのもなんですがf^_^;、ほとんどの場合失敗します(笑)。
話が脱線しました(爆)。
結局この後、ギターのジェーンとドラムのアリスが脱退
ドラムにブリー・ブラント、後任のギターにはなんと!クワトロ姉妹のパティ・クワトロが加入!パティ・クワトロはスージー・クワトロの2つ歳上の姉ちゃんです。(妹と書いてあるサイト多し!)ここでガールズバンドの潮流が合流を見た訳ですな(^_^)
満を辞して4枚目のアルバム、「悩殺の美獣」(ロック・アンド・ロール・サバイバー)を'74年にリリース、シングル「バター・ボーイ」がヒットするもファニーのバンドとしての活動は停止となります。
ミリントン姉妹はその後改めて活動を共にしており、現在でも健在素敵に歳を重ねられたお2人の姿をネットで見つける事ができますよ。
さて動画!ビートクラブなどカラーで良い音の動画はYouTubeでもすぐに見つかりますが、色々と問題が起こりそうなので(笑)、私的には'72年にフランスのテレビに出演した時の映像をチョイスしました!
モノクロで音もイマイチですが、演奏されている曲が1stアルバムにも収録されたクリームのカバー「バッジ」と72年に収録地フランスでもシングルのみでリリースされたアイク&ティナ・ターナーのカバー曲「ヤング・アンド・ダム」と来たもんだ!( ´ ▽ ` )ノ
脂が乗って迫力のある当時の演奏を垣間見ることが出来ますよ!
それではどーぞ!

 

「Badge〜Young and Damn」 (1972)

 

 

 

 

↓やはり!お勧めはファーストですが、とりあえず全アルバムリンク掲載!ぜひ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年1月 4日 (土)

Pink Floyd

伝説のロックスター大集合!今回で300アーティストめのご紹介となります。
この日の為にあえて残しておいた大御所ピンク・フロイドであります。
えー!まだやってなかったの?という声が聞こえてくるようですが(笑)、まさか200アーティストから300アーティストまでこれほど時間がかかるとは自分でも予想外でありました…f^_^;
さて気をとりなおして行ってみましょう!プログレッシブロック、というジャンルの中でも5大プログレバンドと呼ばれている大御所が存在しております。キングクリムゾン、イエス、エマーソン・レイク&パーマー、ジェネシス(全て当伝ロクにて取り上げ済み)この4バンド。
そしてまだ取りあげていなかった最後の一つがこのピンク・フロイドなのであります。
プログレッシブロックには超絶技巧のテクニックや変拍子を駆使する物、哲学的、壮大なテーマに沿った大曲志向のもの、など様々な曲面をもつバンドが存在します。
そんな中でもピンクフロイドの作品の特徴と言えば、幻想的で実験的な音づくりに始まり、哲学的、文学的、社会性をテーマとした作品などと言えます。
その世界観を再現するアルバムのジャケットやアートワーク。それを再現するライブでの大がかりなステージセットやパフォーマンスなども含め、プログレッシブロックのみならず、まさしくロック界に全体においてのレジェンドの中のレジェンドと言えるのであります。
当時16才のシド・バレット(ギター・ボーカル)が参加したバンドでベースを弾いていたロジャー・ウォーターズ。その後ロンドンの建築学校の学生同士で知り合ったドラマーのニック・メイスンとキーボードのリチャード・ライトが参加してピンク・フロイドと名乗ったのが65年の夏の事。
年下ながらもそのルックスとカリスマ性、そしてアート、前衛志向の才能を開花させ始めたバレットが主導となり、ロンドンのアンダー・グラウンドシーンで大注目のバンドとなります。
67年8月にリリースされたデビューアルバム「夜明けの口笛吹き」はいわゆるサイケデリック・ロックと呼ばれるドラッグなどと深く関係したジャンルの先駆けと言っても過言では無いでしょう。当時ちょうど隣りのスタジオで名盤「サージェント・ペパーズ」のレコーディングを行っていたザ・ビートルズも度肝を抜かれた、というのも頷けるというものです。
一方中心メンバー、バレットのドラッグ(LSD)中毒はすでにレコーディングはおろか、まともにライブすら不可能な状態となっておりバンドはその穴埋めとしてバレットと旧知のギタリスト、デヴィット・ギルモアを加入させます。
程なくバレットは脱退扱いとなりバンドは活動を続行。曲作りの中心を失ったバンドは試行錯誤しながら68年の「神秘」69年に映画サントラの「モア」、「ウマグマ」を発表。70年、ヒプノシスによる牛のジャケットでおなじみの「原子心母」で前衛音楽家ロン・ギーシンと組んだこのアルバムは初の全英1位を記録。ウォータース、ギルモアらメンバーの才能を開花させて行ったと言えます。
71年の「おせっかい」では初めてメンバー4人ががっぷり四つに組んでの作品となり、名曲「吹けよ風、呼べよ嵐」アルバム片面に及ぶ「エコーズ」などの名曲を収録。72年のサントラ「雲の影」を挟み半年をかけてレコーディングが行われた73年のアルバム「狂気」はまさに最高傑作、ロック界の金字塔となりバンドの地位を不動としました。
人間に潜む狂気をトータルテーマとした内容、全曲が繋がった曲構成、レジや時計、飛行機の音などのSEを音楽的に効果的に取り入れる手法など、全てが高次元に融合されたものでした。このアルバムから全曲の作詞を担当したウォータースの世界観が次第にバンドの中心となるも、バンドの成功後にありがちな達成感による無力感もあって次作「炎〜あなたがここにいて欲しい」の発表は75年。
こちらもプレッシャーをはねのけての名作となり、77年「アニマルズ」を挟み79年にもう一つの金字塔となる名作2枚組アルバム「ザ・ウォール」が発表されます。
ニューウェイブ全盛の音楽業界にあって大ヒットを記録。旧時代の恐竜と揶揄されたオールドウェイブの底力を見せつけた、という意味でも大きな意味を持っていたと言えます。しかしながらバンドのイニシアチブを握ったウォーターズとギルモアとの確執は大きなものとなり、外部からの多数のゲストミュージシャンの参加と共にキーボーディストのライトはサポートメンバーに格下げ
83年にリリースされた「ファイナルカット」はウォーターズの独断場となり、ついに85年のウォーターズ脱退と共に一方的にバンドの解散が宣言される事態となったのです。
結局ゲストミュージシャンを招く形でギルモアとメイスンがバンドを続行。
87年に「鬱」94年に「対」をリリース。袂を分かっていたウォーターズとギルモアの関係改善に伴い、2005年のチャリティーライブ「Live8」でオリジナル4人による再結成が行われ同年ロックの殿堂入りとなりますが、2008年ライトが死去。
2014年に追悼アルバムとも言える20年振りのスタジオアルバム「永遠/TOWA」をもってバンドの歴史に終止符が打たれる形となりました。
ふー!長かった!(笑)。
ここまでの大バンドとなりますとその歴史だけで相当なものですなf^_^;
私的な思い入れとしてはやはり「原子心母」「狂気」「炎」あたりになります。
先輩のオーディオで大音量で聞かされたそれらは本当に衝撃でした。というもののそんなにのめり込んだということもなかったのですが(笑)。
「ザ・ウォール」のヒットはリアルタイムだったのでよく覚えてますね。あのジャケットの壁を再現したステージセットが崩れる仕掛けなど本当に驚きでした。
しかしながら一番はギルモアのギターでしょう。緩やかに、しかし時に激しく、そしてこれでもか、というほどに情感豊かなフレーズは最大限の魅力ですね…そんなこともあってギルモアのギターがたっぷり堪能できるウォーターズ後のアルバムは意外とツボだったりします。
当のウォーターズは自分が抜けた後は「良くできたピンクフロイドの贋作だ」とか言ってたそうですが(笑)。
今となってはシド・バレット在籍時が再生率が高いでしょうか。その後の音楽性とは違いますが、やはり彼の功績は大きいと感じますね。
さて、動画ですが、これは解説不要なほど有名なイタリアのポンペイ遺跡にて収録されたピンクフロイドのライブ・ドキュメンタリー映画より。
アルバム「おせっかい」のハイライトナンバーより「エコーズ」の前半部分となります。
どこまでライブで演奏されたのかは不明ですが、当時のメンバー4人のダイナミズム溢れる演奏シーンを堪能できます。73年にNHKのヤングミュージックショーでオンエアされた、との事ですが、当時ご覧になった方、いらっしゃいますかね?
それではどーぞ!


「Echoes」 (1972)


 


↓やはり「狂気」は必聴。そしてぜひ今聞いていただきたいのがシド・バレット在籍時の「夜明けの口笛吹き」。名盤です!








 

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2019年8月14日 (水)

Big Star

さあ!いよいよ私が取り上げたかった大好きなバンドの登場です!その名は「ビッグ・スター」
えっ何?そう、バンドの名前がビッグ・スターなんです(笑)。このブログ「伝説のロックスター大集合!」にまさにふさわしい伝説のバンドと言えましょう。
中心人物は実はこの伝ロクでもすでに取り上げ済み、’67年に「涙のレター」で全米ナンバーワンヒットを繰り出した、ボックス・トップスのボーカル、アレックス・チルトンなのであります。
若干16歳で全米ナンバーワン・シンガーとなったチルトン。70年のボックス・トップス解散後、幻と言われるソロ音源の録音を行いますが、これはリリースされず…(後の’96年にリリース)。
その後、高校時代の同級生クリス・ベルがギターボーカル、ドラムスにジョディ・スティーブンス、ベースのアンディ・ハンメルらと4人で「ビッグ・スター」を結成。
クリスがバイトをしていたアーデント・スタジオで1stアルバムをレコーディング。’72年にスタックスより「ナンバー・ワン・レコード」としてリリースされます。
渋ーいボックス・トップスの音楽性とは全く違う、カッコイイギターリフにキャッチーなメロディー、そして見事なコーラスワークが融合された、まさに現代でパワーポップと呼ばれている音楽性だったのです。
ハードなナンバー「フィール」「イン・ザ・ストリート」、切なく美しいバラードの「バラード・オブ・エル・グード」「サーティーン」などチルトンとクリスの楽曲も素晴らしく、一部評論家に大傑作との前評判もありました。
しかしながらいわゆるインディーズ・レーベルでもあり、ほとんど世間に流通する事がなかったらしいのです。
この後クリスが脱退。チルトン主導で’74年に2ndアルバム「レイディオ・シティー」がリリース。名曲「セプテンバー・ガールズ」などが収録されるも1st同様全く注目されず…。
続く3rdアルバムはチルトンとスティーブンスの2人にサポートミュージシャンを入れて’74年から’75年にかけてレコーディングされるも、リリースの機会を失い…バンドは解散となるのであります。
結局全く歴史に名を残す事なく消えてしまったこのバンドを認知させたのは、後にビッグスターからの音楽的影響を公言してはばからず、時にはカバーナンバーまでレコーディングしてくれたビッグネームのバンド達でした。
バングルズ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、リプレイスメンツ、プライマル・スクリーム、チープ・トリック、ウィーザー、エリオット・スミス、ジェフ・バックリィ、マシュー・スウィート、dB’s…もう挙げたら枚挙にいとまがありません。
とにかく彼らの功績によって、再び80年代から90年代に注目される事となったのです。
もちろん私自身が彼らの事を知ったのもその頃。元来パワポ好きの私、「ナンバー・ワン・レコード」の音を一聴して、すぐさま虜になった次第あります。
続く2ndはグッとエッジの効いたサウンドですがちょっと平板で、楽曲的には1stに譲るかな…という感じではあります。
これは脱退したクリス・ベルの影響でしょう。1stはチルトンとクリスの2人がビートルズのジョンとポールのように等しく主導権を取ったものだったのですが、のちに発掘されて世に出たクリスのソロアルバムはまさしく1stで聞かれたテイストでしたから!(クリス・ベルは残念ながら’78年に交通事故で他界)
そして…実は個人的に1番好きなのは3枚目「Third」です。一旦お蔵入りとなった「Third」はその後’78年に再編集リリースされるのですが(’87年にCDリリース時には「Third / シスター・ラバーズ」というタイトルになりました)
聴いてびっくり、驚きのグダグダ感(笑)。ドラッグの影響からか、リズムもギターもヘロヘロ
これじゃあ、リリースもままならなかったと言うのも当たり前という内容。しかしながら世間的にもこの「Third」が名盤との呼び声が高いんですね。ボーナストラックやデモトラックを収録して何度も再リリースが繰り返されています。
これはやはりチルトンの天才的なメロディーと狂気すら感じるセンスのなせる技だったと言えましょう。
この「Third」、ソロアルバム的な雰囲気もあり、そのとっちらかり感は…そう、ビートルズの「ホワイト・アルバム」的な感じと言えばわかりやすいですしょうか。
普通のロック・ミュージシャンの場合、薬のやりすぎかなんか(爆)でそのままこの世から消えてしまう所なのですが、どっこい(笑)チルトンは生きていた!その後皿洗い(!)などで生活しながら、細々とですがソロとして活動、リリースを続けていたのです。
ソロでの活動も大変興味深いのですが、そちらはまた改めて取り上げたいと思います。
「ビッグ・スター」はバンドの再評価、再注目によりなんと’93年にチルトンとスティーブンスを中心に再結成。オリジナルアルバムの名曲をライブで披露して喝采を浴びたのであります。
さらにその後’05年には20数年ぶりとなるオリジナルアルバム「イン・スペース」の発表、‘06年にはそうそうたるメンツによるトリビュートアルバムの発表などもあったのですが、アレックス・チルトンが2010年に心臓発作で急逝してしまいました…ジ・エンド。
残念ですね。
当伝ロクで、ここまで取り上げるのに時間がかかったのは何を隠そう動画の無さです。
本来再結成などの動画は極力避ける方針ですが、何しろ活動中の動画が無ぇ!あるわきゃ無ぇ!当時は全くの無名ですから…
のちにスタジオでの様子を一部撮影したものがオフィシャルとして公開されましたが音が無ぇ!中身が無ぇ!(笑)。
当時の髪の長いチルトンとメンバー、本当にカッコ良かっただけに残念…。
と言うわけで見切り発車。泣く泣く再結成後の動画を紹介します。
確認されるライブ動画は再結成時の’93年からで、有名な物は’94年のメンフィスのライブですが、個人的に好きな’94年のテレビショーに登場した時のスタジオライブをお届けいたしましょう。
曲は1stアルバムから(本来はクリス・ベルが歌っていた曲ですが)「イン・ザ・ストリート」であります。
どーですか!髪が短めで大きなセミアコを高ーく構えたチルトンはお世辞にもカッコいい感じでは無いのですが(爆)、繰り出されるサウンドのダイナミズムは当時のまま!熱いですよね。
それではどーぞ!

 

「In The Street」 (1972)

 

 

 

 

↓私のフェイバリットでもあるビッグ・スター。まずは名盤1stから!

 

 

 

 

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2019年5月 2日 (木)

Link Wray

時代は令和となりました。「れいわ」でピーンと来たあなた、さすがお耳が高い(笑)
リンクれいわ(爆)でリンク・レイの登場です! (く、くだらん…(爆))
ようやく伝ロクに登場したか!とお思いの皆様、お待たせいたしました。ロックギタリストのレジェンド中のレジェンドであります。
この人、何が凄いって、まだギターがチャリっとしクリーンな音しかなかった1950年代後半に現在のロックやハードロック、ヘビメタでお馴染みのギャーン!という歪んだ音、いわゆる「ディストーション・サウンド」って奴を生みだした元祖なのであります。また現在パワーコードとか呼ばれているポジショニングや開放弦を生かしたローポジションでエレキギターをかき鳴らす、と言ったロックギターでの弾き方を定着させたという功績もありなのです。
当時チャック・ベリーのようなビートとフレーズでロックンロールの祖となった人物はいたものの、いわゆるサウンド面でのロックギターでの産みの親と呼ぶべき人なのであります。
1925年、アメリカはノースカロライナで生まれたレイは’53年に除隊後兄弟を中心として結成されたバンドでカントリーなど演奏したり、ファッツ・ドミノやリッキー・ネルソンのサポートなどもしていたようなのですが、エルビスのバックギタリストだったスコッティ・ムーアに触発されてロックンロールに覚醒。
ドゥワップ・ナンバーのヒット曲「ザ・ストロール」をギターインストとして演奏したのが大当たり。ケイデンス・レコードのオーナーの目にとまり、「リンク・レイ&ヒズ・レイ・メン」名義で’58年に「ランブル」でデビューとなるわけです。
この曲「ランブル」がまさにレイの評価を決定づける全てとなりました。「ランブル」の凄い所はこの後大流行となるベンチャーズなどと同様、歌のないギターインストながら、ギターでメロディーを弾くのではなく、ジャラーン、ギャーンというコードを歪んだ音でかき鳴らすのが中心だった、という所。
レイはこの音を出すためにアンプのスピーカーにエンピツで穴を開けたらしく(笑)、それがいわゆるディストーションサウンドの誕生という事に相成ったわけです。
全米16位の大ヒットにも関わらずこの暴力的(笑)とも思えるサウンドが功を奏したのか、あるいは「チンピラの喧嘩」という意味の「ランブル」というタイトルがハマったのか、歌詞がないにも関わらず当時放送禁止になったそうですよ(笑)。
その後も「ロウハイド」「ジャック・ザ・リッパー」お馴染み「バットマンのテーマ」などのヒットもありました。
当然その影響力は絶大。ザ・フーのピート・タウンジェントがギターヒーローとあがめ、キンクスでもスピーカーに切込みを入れてユーリアリーガットミーが生み出され、ジョン・レノンが空港でレイを見かけただけで大はしゃぎし(笑)、ジミー・ペイジ、ジミヘン、リッチー・ブラックモア、Tレックス、若手では(笑)ジャック・ホワイト、そしてニール・ヤングからボブ・ディランにいたるまで数々のロック・レジェンド達がその影響を受けたと公言しています。
彼のおかげでロックギターの今があるというわけです。
それから個人的に感銘を受けるのが、何と言っても彼のその出立ちとキャラクター。そのギターサウンド同様に極悪感満載のルックス(笑)。デビュー当時こそなんとなくスーツみたいなの着てましたが。革ジャン、リーゼントにサングラスふてぶてしくうす笑いを浮かべながらステージ上を練り歩いて周囲を威嚇しながらギターを掻き鳴らすその姿は本当に恐ろしい(笑)
でも実はクスリはおろか、酒もタバコもやらないベジタリアンだそうですよ。人は見かけによらんもんです。
少し彼のギタースタイルについて触れて置きたいのですが、パワーコードで有名にはなったものの、聞きこんで見ると実は普通にギターソロを弾いても相当なテクニシャンでもあります。ただこの時代の人なので初期のサンタナ同様、チョーキング・ビブラートというのをやりませんね。ビブラートはもっぱらアーミング。しかしこれが良い!
フィードバック奏法やワウペダル、スクラッチなど革新的な奏法は早くから全て試していたことが伺われます。それから若い頃に肺炎の影響で諦めたと言っていたボーカルもかなり良いですね。
その後のレイですが'70年初頭のアルバムではネイティブ・アメリカンである自身を反映するようなアーシーなアルバムを出したり(これが私の好きな特殊ジャケット!)するものの、’77年にはロバート・ゴードンと共にロカビリーのアルバムを出すなどずっと活動は続けておりましたが’05年に移住先のデンマークにて76歳で帰らぬ人となりました。亡くなる4ヶ月前までツアーを行っていたとの事、まさに超人ですな。
しかも映像で確認して見ると’70年代、から’00年代に至るまでリーゼント、オールバック、長髪、革ジャンやサングラスなど一貫した不良ロッカースタイルを貫いており、見た目的にも全く年齢不詳の極悪感(笑)。凄すぎる…。
同様に同年代で鬼のようなサーフギターを弾いていたディック・デイルと共に映画「パルプフィクション」でも楽曲が使われておりましたが、偉人にも関わらず特にここ日本での知名度は今ひとつなのが残念でもありますな。
鮎川誠ギターウルフのように、見るからに影響を受けてるなあと思われる方々が紹介はしてるんですけどね。
さて動画ですが、やはり「ランブル」で行きたいですよね。しかしながら年代が古く当時の影像は当然見つからず…他の曲ではあったのですがやはり極悪感がハンパ無いこのバージョンをお届け致しましょう。サンフランシスコ、ウインターランドでのライブであります。
どーですか!このゴロツキ感(笑)。ガムを噛みながら睨みを利かすこのチンピラ感、たまりません(笑)。路地裏で会ったらすぐ逃げるパターンですよこれ(笑)
初期のレイはダン・エレクトロギターリンという変態ビザールギターがメインギターでありましたが、ここでは後年メインとしていたヤマハのSG-2を使っていてこれが実にカッコイイ!しかもペグをバンジョーペグに交換してるじゃ無いですか!うーん。
それでは震えながらご覧あれ!どーぞ!

 

 

 

「Rumble」 (1974)

 

 

 

 

↓とりあえずベスト盤で体験を!色々と革新的な事やってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年1月 3日 (木)

Twisted Sister

当伝ロク的には新しい部類に入る80年代ではありますが…(笑)
80年代HR/HMシーンの中でも一際異彩を放つルックスとキャラクターを持つバンド。 それが今回ご紹介するバンド、「TWISTED SISTER」であります!
ボーカルのディー・スナイダーを筆頭に、グラム・メタルと呼ぶのも気が引けるような、派手な衣装と趣味の悪い(笑)ケバケバメイク。曲のテーマは主に親や教師への反抗ミュージック・ビデオでは痛快に親、先生をぶっ飛ばし、ライブでは4文字ワードを連発しながら観客を煽りまくる。まさにこれぞバカロック、失礼、ロックアイコンと呼ぶべきでしょう。
そのイメージからサウンドが話題にされるのは二の次になりがちではありますが、いえいえどうしてHR/HMの伝統に習ったスピード感溢れる重いサウンドに明るく大合唱できるキャッチーなメロディーは当時大ヒットしたQuiet Riotら同様、ヒット性は抜群だったと言えましょう。
'72年にフランス人ギタリスト、ジェイ・ジェイ・フレンチが中心となってアメリカ・ニューヨークで結成されたバンドに'76年ボーカルのディー・スナイダーが加入。メンバーチェンジを繰り返しながら'79年にインディーズデビュー。
'80年代に入ってイギリス遠征などしながら'83年にアトランティックよりメジャーデビュー.。82年1st「Under The Blade」こそあまり話題にならなかったものの、前述の強烈なキャラクターを売りに、83年2ndの「You Can't Stop Rock'n Roll」がアメリカでゴールドに。さらに全米ヒットの代表曲「We're Not Gonna Take It」「 I Wanna Rock」を収録した84年3rdの「Stay Hungry」がトリプルプラチナを獲得してバンドは頂点を迎えるのであります。
当事の事は既に大人でしたので(笑)よく覚えておりますが、ハッキリ言ってあまり私好みのバンドではありませんでした(爆)。
私の持論として「ロックはカッコよくてなんぼ」でしたから、見るからに滑稽なディー・スナイダーの風貌とキャラクターがどうも…(爆)。
また当時のLAメタルあたり全般に言えた事ですが、あのコスチューム!原色!ヒラヒラ!スパッツ!中途半端な肌露出!(笑)。当時はあれがトレンドだったんですよね(笑)
いや、ジャケに写るメンバーの姿があまりにかっこ悪かったのです。それに追い討ちをかける変な名前(笑)、ディー、フレンチ、メンドーサ、ペロにオヘダと来た日にゃ…(笑)
これだけ三拍子揃うのも珍しい。いや名前に罪はありませんので悪しからずでありますm(_ _)m
しかしながら曲は良いなと思ってました。これマジです。
バンドはLAメタルブームの終焉と共に87年にディーの脱退をきっかけに解散となります。その後97年にオリジナルメンバーにて再結成。
10年間にわたって活動を続けました。2015年にドラムのA.J.ペロが他界するなどあり、活動は終わりましたが、その間も「We're Not Gonna Take It」「 I Wanna Rock」などが映画に使用されたり、東北ではお馴染み「ベガルタ仙台」でのチャントに使用されたりと話題には事欠かなかった感がありますね。
余談ですが彼らが2007年にリリースしたクリスマスアルバムがありまして、これが最高なんですよ。
「A Twisted Christmas」と言うアルバムなんですが、クリスマスの名曲が彼らのヒット曲やHM/HRのパロディーアレンジで展開されると言う快作。
私の好きなベンチャーズがクリスマスの名曲を彼らのヒットナンバーのパロディーアレンジで綴った'65年の名盤「The Ventures Christmas Album」にも全く引けをとりません(笑) 機会があったらぜひご一聴を!
さて動画ですが、オフィシャルのものは皆さん、見飽きてますよね(笑)
ここは伝ロク流、あえてヒット曲は外しまして(爆)メジャーデビュー直後にパフォーマンスされたスタジオライブの映像を拾って見ました。
いつも思いますが、伝説のバンドのブレイク直前のライブというのは実に素晴らしい。これから売れるぞ!というオーラをビンビン感じるわけです。
奇抜なメイクに派手な衣装、ヘッドバンギングにフロント陣の連係アクション、ベースのネック叩き(笑)今見たら失笑ものの(爆)当時のHM/HRの基本動作が全て詰まっております。
画質こそ最悪ですが、大音量で展開される生演奏をぜひご覧あれ!
曲はメジャーデビューシングルの「Under the Blade」であります。それではどーぞ!



「Under the Blade」 (1982)




↓オススメアルバムはもはやこれしかないでしょう。大ヒットアルバム「Stay Hungry」!

    

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